創業者挨拶
会長 伊藤 攻 Osamu Ito
20代のときにお肉屋さんになろうと決心
『肉のいとう』を創業して早50年が経ちました。
我が娘のように愛おしい仙台牛をみなさんにも味わっていただきたい。そんな思いを持ち続けて今日も頑張っています。
私は20代前半、自動車会社(現日産プリンス)で整備士の仕事をしました。太平洋戦争の終戦の年に生まれた私にとって、また日本人にとっても当時、お肉は大変貴重な食材でした。
とりわけ牛肉は普段なかなか手が届かない高級食材でした。
お肉が好きだった私は、お肉屋さんになれば、好きなお肉を毎日見ること、食べることができるだろうと思い、肉屋を生涯の仕事として取り組んでいこうと決心しました。
勉強と研究に没頭するも、苦しい日々
まだ20代前半の私が、今の店舗がある米ヶ袋で精肉店を始めた時、地域にお肉を売っている店舗が全部で8店舗ありました。
右も左もわからない私は、いつ廃業に追い込まれるかわからない中、朝から晩まで日曜日も営業して、がむしゃらになってお肉に没頭しました。
自ら、仙台卸売市場に買い付けに行き、大きな枝肉から店頭に並べてお客様が食べられる小売サイズまでカットできるようにしました。
部位ごとの特徴を必死に勉強し、この部位は、こんな料理で食べると美味しいんだと30代の頃に体で覚えました。
40代では、精肉だけではなく、お肉を使ったコロッケやメンチカツ、焼き豚やローストビーフ、しゅうまい、ミートローフ、カツサンド、牛肉サラダなど各種惣菜も提供できるようになりました。
お店が苦しかった時もありましたが、当時は高価だと思われていた牛肉を一人でも多くの人に食べて頂きたいという思いから地域の皆様にはご奉仕させていただいておりました。
お客様から、「本当にこの値段で大丈夫なの?」と心配されることもあったくらいです。
“ かたい信用やわらかい肉”のキャッチフレーズの由来
良いものを安く提供できる店作り、地域に愛される店作り、毎日来店しても飽きない店作りにこだわって長年取り組んできました。
“かたい信用やわらかい肉”というキャッチフレーズは、そんな『肉のいとう』の思いを凝縮した言葉として商標登録しています。
がむしゃらに取り組んできた結果、いつしか地域にお肉を売っている店舗は、 『肉のいとう』 のみとなっていました。
こうして私どもが現在まで販売することができるのも、お客様一人ひとりのおかげです。今まで支えてくださった皆様に心から感謝しております。
生産者や問屋と一丸となって美味しい仙台牛をお届けします
現在、全国には200以上のブランド牛があります。
数はあれど、肉質等級を“5”に限定しているのは仙台牛のみです。
厳しい飼育条件や検査も設けられているため、宮城県で出荷される肉用牛のうち“仙台牛”と認められるのは、わずか3割ほどです。
さらに、仙台牛は販売指定店でなければ取り扱うことができません。
美味しい仙台牛をお客様にお届けできるのは、生産者の方や問屋さんなど、一人ひとりの努力があってこそです。
日々、肉の品質を見極めるだけでなく、問屋やスタッフとの連携も大切にしています。
自分のできる限りのことをやって、仕入れや管理にも気をつけて、お客様が心から美味しいと思える肉を提供したいと思っています。
仙台牛は、とてもやわらかいですし、かんでいると甘みがジュワーッと広がってきます。霜降り度の高い肉ですが、しつこくないのが特徴です。
インターネットでも仙台牛を販売するようになってから、全国に仙台牛のファンが増えました。
「こんなにおいしいお肉は食べたことがない」「また食べたい」など、うれしい言葉をたくさんいただきます。
このように高く評価されているのは、仙台牛が肉質等級の最高ランク「5」のみの牛肉であることも一つの要因です。「A5」、「B5」と認められたものだけが、仙台牛の称号を授かれるのです。